社会主義再考 (3) | 小姐的不夜城故事

社会主義再考 (3)

日本の場合はどうなのでしょうか?日本は社会主義体制の国々から見ても、非常に国民が平等化され、更に社会基盤が高度に発達していて、国民は現在の日本に対してあくまで他国との比較論ですが満足度は高いように思います。それは考えるにこの国の治安の良さが起因しているのでは、と考えます。


日本も最近治安が悪くなって来たとよく言われますが、多くの日本人は、警察、弁護士、裁判所、こういったものに一生係わり合いを持たないで生活しているかと思います。治安がよいというのは国民一人一人の教育が行届き、基本的な個人の安全に対する考え方、トラブルを避けたいという防衛能力が統一されている証拠だと思います。その点日本という国家は、単一民族、単一言語という極めて意思の統一が測り易い環境下で生活しているので、安全に生活する事でより生産活動に没頭でき経済的に大きな成果を上げ、それを出来るだけ平等に分配する税金システムと社会保障で極めて安定した社会を築いてきたのでは、と考えます。


法律が守ってくれる社会は当然必要なのですが(法で守れない社会は論外という意味で)、逆に法だけが頼りというような社会も恐ろしい社会だと思います。社会主義の原点も実は法を頼りにしなくとも安全で平和な暮らしが営める社会だと思います。社会主義を掲げる国々も建国当初は、その精神に基づき人々の道徳性が生活のルールを作り、決して法律の枠内からそれる事無く過ごせて来たのが、社会の発展と共に経済的な落ちこぼれ組みの中に、法律を平気で犯す人たちが現れ、またその法律を楯にしていろいろなトラブルを生活の糧にする人たちが跋扈する事は社会主義者にとっても想定外の出来事だったと思います。


治安は生活の安定と教育により維持できるものです。それを継続できない社会は崩壊する事になります。空想での平和と平等はとりわけ美しく描写されますが、リアルな社会は魑魅魍魎としたドロドロの世界で、人々はパン一欠けらにも血を流すのが現実です。法律に頼らない生活、それを構築するのが政治家の使命であり、それにイデオロギーの分類は必要ないのですが、いかに発展と平等をバランスよく舵取り出来るのか、それが社会主義の原点では、と思います。


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