社会主義再考 (2) | 小姐的不夜城故事

社会主義再考 (2)


社会主義の理想を模索している国々はかなりの犠牲を払わなくてはならない事は歴史が証明しています。個人が欲望の罠にはまってしまう限り、個人個人が等しく平等を維持する事は不可能に近い行為だと考えられるからです。


欲望の開放はその反作用として、憎悪を生み出します。それは耳に心地よい正義や平等という言葉の中に隠された憎悪の塊です。中国でも人々がよく口にする言葉は「不公平」という言葉です。その一言には、自分自身を起点にした小さな世界での「不公平」という意味合いが大きく、人は常に自分の身の回りに有る「不公平」に敏感で、自身の生活に直接影響を及ぼさない事象については「没法」(どうしようもない)で片付けてしまう傾向が強いかと思います。


このように個人の立場で身の回りの事象を基準に社会生活が営まれている以上、社会全体全ての出来事に個人が係わり関心を持つ事を理想とする社会主義は、成立がかなり厳しいかと思います。


人間が生まれてくる時には、その個人に選択肢がある訳では有りません。その生まれてきた環境にはすでに多くの「不公平」と「不平等」が存在している事も事実です。では社会主義が成立する為にはどの様な条件が必要なのでしょうか。


ここである単位の人々が社会主義を選択した場合、一番注意する点はまず、生活サイクルの自己完結に有ると思います。生活に必要な食料、消費財、その他もろもろは全て自分たちの手によって生み出され、それを等しく人々に分け与える。これが生活の基礎にならないとその単位に所属する全ての人々に公平感は得られないかと思います。


そして次に重要なのは、その上で新しく生まれてくる子供たちへの教育です。まず外部からの情報を遮断する必要が有ります。子供たちに欲望の社会を見せつけ、その社会が自分たちの理想では無いと教育する事は非常に困難な事だと考えられます。子供たちはその好奇心を抑えられず自分の置かれた環境に耐えられない事になるのは目に見えています。また私欲を無くす為の教育も欠かせません。自分たちが生み出したものを自分たちが消費する。これが原則だと言えます。


これに伴い外部からの干渉を撃退する事が必要です。簡単に外部から社会基盤を崩される様では人々の心の安定は保てません。外の世界からはアンタッチャブルな何らかの武器を持たなければ、その社会を維持する事も困難です。


これらの事は社会主義を目指す社会には必要不可欠で、多くの社会主義国もこの原則に則って社会運営をしてきたかと思われます。しかしいくら努力しようとも崩れていく現実は、人間の業の深さを物語っています。これを埋める為の潤滑剤に宗教などがあるのですが、宗教も腐敗の繰り返しを続けてきた現実があり、全ての人にという社会主義の平等論に取って代わるだけのパワーは無いのが現状です。


To be continue