上海のユダヤ人 | 小姐的不夜城故事

上海のユダヤ人

上海生活を送るユダヤ人                上海のユダヤ難民故居


第二次世界大戦はドイツの突出した軍事行動が引き起こした恐怖の連鎖が印象に残りました。特に人種間に於ける憎しみが爆発し、ドイツがユダヤ人に対して行った残虐な行為は人類の永遠の汚点と言えるでしょう。そんな中でも中国とユダヤ人には不思議な因縁が有ります。そしてその因縁は中国の対アメリカ政策にも重要な役割を果たしてきたと言えます。


第二次世界大戦中上海には約5万人のユダヤ人が生活していました。そしてこの上海こそが彼らの約束された地に向かう最後のベースキャンプだったのです。当時世界中で戦いが行われる中、上海は色々な国の疎開地があり、返って不思議な平和的均衡が保たれ、この地に滞在したユダヤ人は終戦までナチスの迫害を受ける事無く無事に生活し、戦後は多くの人がイスラエル建設の為にパレスチナの地に渡り、その多くがイスラエル建国に血と汗を流しました。


そしてイスラエルは1948年5月14日に建国したのですが、それから翌年1949年10月1日中華人民共和国が成立し、その後3ヵ月後の1950年1月9日、もうすぐ朝鮮戦争の始まる怪しい時期にイスラエルは共産国である中国を国家として承認するのです。これはアメリカの絶大な援助で建国した国としては尋常ではないのですが、彼らユダヤ人にとって中国、そして上海という地が如何にイスラエル建国に重要なポジションを占めていたかがよく分かります。


そして冷戦時代が始まり、中国とイスラエルもまたその冷戦の枠組みの為、1992年1月24日まで42年の長い間国交が樹立できなかったのですが、その間も両国の関係は依然友好的であり、例えば1976年天津の近く唐山で大地震が起きた時、イスラエルは真っ先に当時のお金で1億ドルを援助する事を決めました。また中国の軍事開発には数多くのイスラエルの情報提供が有ったと専門家が認めています。そして最近ではイスラエルから哨戒機を4機商談がアメリカの介入でキャンセルされる話があったのですが、裏では多くのキャンセル料と軍事技術供与が約束されたと言われています。


このように余り普段関係がないように見える両国、実はとても深い絆とシンパシーで結ばれているようです。そしてその絆がアメリカの対中政策にも大きな影響力を持っている事は間違いないようです。