大連開発区ストライキの行方 | 小姐的不夜城故事

大連開発区ストライキの行方

今年中国全土で起こった反日運動を受けて、9月に沸き起こった大連の日系企業ストライキ事件、多くは政府の介入により沈静化し、給与を若干上げる事で決着したように見えますが、3万人以上の人間が企業の枠組みを超え集団でストライキを断行した事は、政府にとっても頭の痛い話だったと思います。


特に大連でこの事件が起きた事は中国を良く知る人たちにとって感慨深い事件だったと思います。それはこの地がかつて中国改革開放の先頭を走った任仲夷氏が遼寧省の書記長を務め、彼が最初に鄧小平に経済特区を勧めた地が大連だったのです。

任仲夷氏、今年11月15日没      鄧小平の懐刀です

享年92歳



その後彼は広東省に人事異動され大連経済特区は保留され、広東省には4つの経済特区が設立されましたが、それは彼が鄧小平の絶大な信頼を得ていた事と、自身の強靭な指導力の賜物で、今の中国の基礎を作り上げたといっても過言ではないでしょう。彼の反骨精神は文革時代に毛沢東と4人組を批判し獄中で亡くなった多くの同志の名誉回復に努めると共に鄧小平に対しても直言、批判できる存在で、共産党の革命精神を具現化できる闘志の1人だったのです。


その彼がこれからの中国を見据え、自分の行った政策に矛盾を覚え、海南島を政治特区にし、選挙による代表選出と真の民主政策を実験する事まで考えていたのです。そして今回彼の原点とも言える大連で党の指導を無視してストライキが行われた事は実に皮肉な結果と言えるでしょう。


国が富める事を優先して行われた改革開放の政策が曲がり角に来ている事は誰もが認める所です。しかし中国の対外貿易に依存する体質(貿易依存率70%近く、日本でも30%以下)、消費率の低さ(統計では15%の富裕層が85%の貯蓄を握っていると言われ庶民の消費志向はまだまだ低い)、これらを考えると今の政策をすぐに転換できる状態ではないので今は如何に国民を騙すかがポイントで、今の政府はかなり難しい舵取りを要求されます。


人件費のコストが上がれば海外の投資は萎んでしまいます。しかし中国で莫大な利益を生み出す海外企業に働く人間は自己矛盾に陥っています。このバランスを上手く取らないと中国全土でストライキ地獄に陥る可能性が有ります。