資本論 | 小姐的不夜城故事

資本論

国慶節からしばらく日本でばたばたしている間、日本のニュースでは村上ファンドの阪神電鉄株の買占めや、楽天によるTBS株の買占めの話で庶民感覚からは何桁も違うようなお金の話がトップの話題に上っています。週刊誌なども株の好調を背景に、しがないサラリーマンになけなしのお小遣いを投資に誘う煽りを入れ、バブル崩壊を鮮明に覚えている世代のおとーさんでさえ夢よ再び状態になってきている様です。


今の状態がやっぱり危険だなと思ってしまうのは、やはり若い世代への影響ではないでしょうか。むかしむかし我々が学生の頃、ちょうどバブルだったのですが、それを肌身で感じる事はやはり今より少なかったのかなと思います。唯一感じたのは海外へ出て円高のうまみを味わえた事。しかし今の株ブームは小学生でも参加できるほど簡単になっているので、ここで楽して金が入ってきた若者は一生働く気がしないでしょうね、多分援交で安易に金を稼いだ中高生が、結婚しても出会い系で売春を持ちかける感覚に近いかと思います。


日本は本当にもともと資本も資源も何にも無い国だという事を再認識しないで、何でも有る国だと勘違いする若者が増えれば、それはかなり悲劇的な結末が待っている様な気がします。現時点で人も金も物も余っていると思っている今の日本では、人の気分を良くさせるサービスを充実させる事によってのみ、生き伸びる事が出来ると皆が思っていて、その為には人を押しのけても、過剰だと思われても、必要以上に媚を売る社会になっているのかもしれません。


以前の感覚では資本家(資産家)はお金を持っている事を隠して生きてきた感が有ります。あの人はお金持ちだなという認識はあっても、細かいお金の流れは庶民にはシークレットにしてきた奥ゆかしさが有ったかと思います。しかし今、日本の社会は誰もが他人のお金に注目し、自分とは本来関係の無さそうな資本の流れに一喜一憂しているようで、少し客観的に見ると滑稽な感じもします。


とは言っても、現実はやはりその流れに対応しないと生き残れない恐怖感と戦っているのが本音で、現実と理想とのバランスはやはり現実に傾くのが思考を超えた本能で動く人間の性なのかもしれません。