今昔物語 | 小姐的不夜城故事

今昔物語

時代が変わり、どんなに環境が変化しても変わらないものが有ります。日本は60年前終戦を向かえそれ以後死に物狂いで働き、今日先進国の仲間入りをするまでになりました。しかし今でもその60年前に中国と行った戦争行為を残虐なものとして、日中双方現代の若い世代に至るまで後ろめたさと恨みの気持を持ち続けるよう教育を続けてきました。その為現代に至るまで日中の間には深い溝が横たわっているかと思います。


それでは中国において全てが日本憎しなのでしょうか?

五四運動で日本商品を燃やしている


このように日本商品を排斥する行為は、第一次大戦後調子に乗った日本がタナボタで中国に拠点を持った為、学生の怒りが爆発して行われたものです。しかしこの当時の学生たちの気持ちは日本憎しも当然ありますが、それよりもっと時の中華民国政府に対し不甲斐ない事への怒りを、日本という欧米列強よりは物分りのよさそうな国へぶちまける事により、民衆の理解と支持を得ながら暗に反政府運動を繰り広げたのではないでしょうか。


その意味では、今年の反日運動もやはり政府への不満をぶちまける口実に反日の旗印を掲げたとしか思えません。日本は中国政府と国民にとって永遠にスケープゴートの対象なのでしょう。

日本製不買運動



その反面、経済的には改革開放後の中国は日本の資金、技術、人材をフル活用してきて、その御陰で日本の経済が空洞化するなどおかしな状態になってきました。しかしこれも日本は自らの選択でグローバルの道を選んだのですから、それを他国に責任転嫁するような事はありませんが、中国は平気で他国に責任転嫁してきます。


こう考えると日本って本当に損な役回りだなと考えてしまうのですが、今の日本人のおとーさんと中国人小姐が60年前の慰安婦問題も忘れ不夜城で戯れている現実を考えると、日中には本当に深い憎しみだけが残っているのか疑問に感じてきます。


そこでこの1942年広州での写真

60年前のとこや

「日本式とこや」「皇軍大歓迎」「親日女子理髪」しかも店の名前が「和共」です。ああやっぱりおじーさんはこうした所で息抜きをしていたんだ。しかも結構美人がいてそうだし。もしこれを慰安婦と呼ぶのなら、今の日本人は全て鬼畜な小日本で不夜城の小姐は全て慰安婦です。


時代は流れ情勢は変わって言い方や捉え方は変わってもこういうものの事実は一切変わっていない。それさえ頭に入れておけば日中関係も大丈夫だと思うのですがいかがでしょうか?


現在の床屋