不夜城の歴史 | 小姐的不夜城故事

不夜城の歴史

今の中国は24時間眠らない街です。特に北京、上海、広州などの大都市や近郊の衛星都市は、カラオケ、サウナなどの娯楽場がどんどん建設され、バブルな人々のお金吸い上げています。もともと中国の娯楽文化は奥が深いと思うのですが、現在の娯楽産業は享受する側と、提供する側の格差がはっきりとしてきたため、また解放以後、当局の娯楽に対しての締め付けが厳しくその反動もあって、改革開放以後現在までの隆盛が見られるのだと思います。

私はこんな中国で南は香港から北はフフホト、新疆まで夜の街の変貌を見てきました。仕事の関係で中国に係わってきたので、接待を受ける側、接待する側の両面で夜の街を徘徊してきました。また私自身中国語がしゃべれるという環境上多くの小姐(若いお姉さんの意味)の悩みや相談にも接してきました。このブログではこんな中国の夜の小姐を通して中国が抱える問題や、現状を書いていきたいと思います。

まず中国の歴史的な補足から説明しますと、

1976年 
中国の周恩来、毛沢東が相次いで亡くなり、文化大革命が終結し鄧小平が政治の表舞台に登場した所からが中国不夜城再建の第一歩だったのではないでしょうか。
 
1978年 
日本と中国にも日中平和友好条約が締結され、この年鄧小平が訪日し日本と中国が経済的に結ばれる基礎ができました。

1979年 
アメリカとの国交も回復し、西側との交流にも拍車がかかってくるのですがこの時期ではまだまだ夜は寂しくお酒はレストランで頂くものでした。

1980年 
経済特別区が深セン、珠海、汕頭(広東省)、アモイ(福建省)に設立され外資企業の誘致が本格的に始まりました。外資のホテルなどが建設されここから中国不夜城再建が始まります。深セン、珠海、汕頭は香港人が主にリードし香港式のカラオケ、サウナなどが乱立しました。またアモイは地理上台湾系の店が多く作られました。ただ基本的にはこうした香港人、台湾人がお客を接待する場で、一般の中国の方々には無縁の所というイメージがありました。

1989年 
天安門事件がありました。これ以前87年にも北京の春というあまり知られていない学生運動があったのですが、要は政府の高級幹部のみがこうした夜の街で贅沢三昧をしているとの批判がピークに達した事件でした。この天安門事件以降、政府は大胆に規制緩和を進め、経済特別区の拡大とあらゆる規制を緩める政策に突き進んでいます。

そして1990年以降天安門事件前に日本などへ留学もしくは就職していた人たちの帰国ラッシュと共に日本のあらゆる夜の街のノウハウを持ち込み、特に上海では日本人の進出が著しく増加したのに合わせて、日本式のカラオケ、サウナ、風俗などが増えつづけ今では日本料理屋、クラブなど日本人を対象に営業している店が1,000店以上あるのではないでしょうか。そして現在は中国全土どこにでも眠らない街は存在し、その夜の産業に従事する人口も急増しています。

小姐たちの変化
80年代   
80年代に夜の街に流入してきた小姐は、その多くが貧しさの脱却と、将来への失望からこの世界に飛びこんだ人々でした。祖父祖母の世代、両親の世代共に言葉では言い表せない苦労の連続の中で育ってきて、その中でとにかくお金を早く捕んで家族と自分の生活を安定させたいという気持ちが強かったと思います。また男女の関係にも無意識の内に保守的にな部分があり、夜の仕事に従事している事自体に罪悪感みたいなものが有ると感じられました。こうゆう仕事をしていると結婚できないだろうなとか、家族の為に私は犠牲になっているとか、生きる事へのあきらめのようなものがありました。ですからこの時代に夜の街に従事していた小姐の多くは30歳を過ぎる前から積極的に香港人、台湾人の愛人となって、子供を作り、生活を営んでいる状況が比較的に多いと思います。

90年代   
90年代に入ると、物質面と情報量との両面での豊かさが顕著になり、単に生活の為だけというような小姐は少数派になってきたと思います。より豊かな、高度な生活に憧れて地方から大都市に出てくるのが主流になり、夜の仕事への罪悪感より、より良い生活の為の割り切り感が強くなってきました。その為この年代の小姐は生活を楽しむということを前提に、30歳を過ぎても夜の街に従事している人が多く、また複数の男性と付き合う事にも抵抗がありません。

00年以降  
2000年以降に夜の世界へ飛び込んだ小姐はやはり地方の人たちが多いのですが、大体は積極的にこの世界に飛び込んできた小姐たちです。それは興味本位であったり、友人たちのつながりであったり比較的何の抵抗感も無く働いています。基本はやはりお金ですが、恋愛もしたいし、結婚もしたい、マンションも欲しいし、旅行にも行きたい、というような小姐たちです。

2000年以降中国は日本にとっても経済的に重要なポジションになり、多くの日本人が駐在または出張で中国に訪れています。それに伴って夜の街も拡大していますが、基本的な男女間のルールは世界共通です。遊ぶのであればきちんとお金を使って遊び、恋愛したいなら真剣に向き合わないと大きな問題になります。90年代の初めまでは日本と中国の経済格差と情報格差は甚大でした。その時代では遊ぶお金といっても、普通の日本人にとっては微々たる金額でしたが、この10年間でその経済格差と情報格差が急速に縮まり、なめてかかるととんでもない問題にも発展しかねません。

できればこのブログを活用していただいて、相談事、悩み事などありましたら、できる限り答えていこうと考えています。

宜しくお願い致します